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2018年4月15日日曜日

2018年度「日本言語文化演習」

この授業は、プログラムのカリキュラムの中では最も専門的なものの一つです(「ゼミ」とも呼ばれます)。各教員が自身の専門分野に関わるゼミを開講し、受講生が研究を行う場となっています。磯貝ゼミではこのところ、平安時代の末、清水寺の僧定深によって編纂された『東山往来』(高野山大学図書館蔵、応永11年写)の読解・研究を進めています。西洛の檀主の「問い」について、東山の師僧が「答える」という問答の体裁をとるこの資料は、古往来という消息文例集に分類される古代の教科書的な位置づけの文献です。

 貴族の日常的な疑問や問いかけへの僧侶の答えに見る仏俗の交流のあり方、俗信や迷いに対して典拠・根拠を示しつつ導く僧の思想・思考の記録としても非常に興味深い資料ですが、私たちはこれを平安時代末期の言語資料、とくに書記言語の展開を考える資料として読み解こうとしています。当時の記録類(日記や文書など)、また学問的な思考に伴って生み出される文章の殆どは漢文、それも日本語書記のために変容を遂げた「和化漢文」「変体漢文」といわれるものでした。

和化漢文は和文によって展開する物語や和歌などの言語世界の隣にあって、互いに交わりつつも異なる言語を形成し、それを用いた言語活動を支えていました。漢文による日本語書記自体は現代では行われなくなったわけですが、じつは江戸時代の末までは日本語を書き表す様式としては中心的な位置にあるものでした。今でも「乞うご期待」「いかんせん時間が足りない」といった表現には漢文的な言い回しが生きていますし、漢語を用いた表現は日常にもあふれていて、むしろそれ無しには表現すること自体が極めて困難です。そうした言葉が集まって生まれる文章に対して私たちが感じる「硬い文章/軟らかい文章」などの文体的印象を作る背景のひとつに、「日本人にとって少々特別な位置にあった〈漢文的言語〉の世界」があると言えるでしょう。

現代語の背景に流れ込んで密やかに息づいている「平安時代の言語」は、当時どのような姿で表され、どのようなコミュニケーションを形づくっていたのでしょうか。今年の履修者は22名。『東山往来』の周辺にあるさまざまな言語資料を援用しながら、本文の解読と研究を進めることになります。



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