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2021年1月13日水曜日

研究資料『注好選』(コロナ対策のような…)

今期、ゼミで取り組んでいる資料は『注好選』(東寺観智院蔵)です。平安時代末の成立、テキストの観智院本が書写されたのは仁平2(1152)年。本邦成立した説話集で、変体漢文(和化漢文)で書かれています。『今昔物語集』とも共通の説話をもち、中国の説話・インドの仏教説話・動物説話などが収載されています。毎週、受講生が一話を担当し、漢字文の背後にある当該期の日本語を再現し研究する活動を行っています。昨年末、取り上げられたのは、中国・前漢のとある人物の伝記的内容でした。これが、今わたしたちがおかれている「コロナ禍の生活」をちょっと連想させるような、面白い内容でした。

(内容にいく前に、ゼミでの研究のお話を少し)

日本語史研究の資料として、『注好選』を読んでいくわけですが、各自が担当する長さは基本3~4行(1行あたり20~23字程度)といったところ。短い、と感じるでしょうか?しかし、平安時代末期の日本語を考えるためには、当時の言語感覚で読む必要があります。そのために利用するのは、平安・鎌倉期に成立した古辞書や文献です。通常、辞書は読み方や意味を知るために引くものですが、頼りとする辞書が「読めない」という壁に学生たちはぶつかります。古典を「その当時のことばで読む」方法の習得が目指されるわけです。

また、日本語として理解されるべき資料とはいえ、表記体は漢字文です。担当範囲の一語・一文字に対して、訓読み/音読みどちらをとるべきか、いくつかある訓/音のどれを採用すべきか、さらには、漢字表記されていない「補読」(たとえば助詞・助動詞など)を入れるべきか…色々と悩みながら、他の箇所、他の文献に存在する「読み方の痕跡」を求めて、担当箇所の読みを推定します。このくらいの分量が「ちょうどよい」のではないでしょうか。

さて、この過程で、日本語史研究のさまざまな問題点、課題が見えてくる。それが各自の卒業論文のテーマ発見へとつながっていくわけです。

(話を説話の内容にもどします…)昨年末のことになりますが、次のような文章が範囲となりました。

董仲下帷第二十七
此學生前漢廣川人。好學下帷令不散目。讀書遇人不多談。向食不久逗留者也。

(『注好選』上巻)

前漢の儒学者、董仲舒の学問への向き合い方が見えるお話。帷を下ろす・人に会って多くを語らない・食に向かっても長居はしない…私は心の中で、これはまるでコロナ対策の実践者のような…。と思ったりしながら、学生の発表を聞いていたのでした。

 

さてさて、原本では僅か2行程度の内容を読むために、発表担当者は26ページの資料をつくっています(毎回だいたいそんな感じです)。こうした極めて地道な作業によって、(内容の把握はもちろんのこと)平安時代末期の日本語の実態が次第に見えてきます。たとえば、平仮名中心で書かれた文章との違い、同じ漢字専用表記でも、公家の日記に用いられた言葉との違い、元ネタである中国の漢文(中国古典文)と日本の漢文(変体漢文)との違い、…etc。より専門的な論文へとつながるこうした観点は、「地道にやったからこそ」発見して自らのものとすることがができた「専門知」となるのだろうと私は考えています。

 

 

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