2017年3月14日火曜日

古典教育と古典教材研究の会開催

先日、国語教育の研究者を招き、本学の日本語学の研究者、他大学の大学院生(現職)、現職の先生、人文学部の学部生といったメンバーで、「古典教育と古典教材研究の会」を行いました。広島からご参加・ご講演くださいました福山市立大学の森美智代先生、どうもありがとうございました。

この研究会を立ち上げた背景について。
最近の研究上の関心のひとつに、国語教育とりわけ古典教育に関する研究があります。これは研究分担者となっている科研(研究代表者:鈴木恵「学びのプロセスと日本語書記史を統合する学習材・カリキュラムの開発と検証」)の課題とも関わるものではありますが、私が教育の職に就いて以来感じている、自身の専門性・研究の成果をどのように開いていくか、という問題に対する解の一つでもあります。

小中高で行われる古典教育、そこで使用される古典教材の大部分は、誤解を恐れずに言うならば、古典「文学」を学ぶものとして位置づいています(言葉の問題に関わるテーマとしては、古典語彙や古典文法といった事柄が学ばれている事実はありますが)。そうした現状に対して、日本語そのもの、ひいては学習者が自らの言語・思考のあり方に対してより自覚的に学ぶ可能性を開くものとして、古典教材を位置づけ直したいと私たちの研究グループは考えています。

現代日本語の運用のあり方を説明する方法・言葉は数多くあり、国語の教材にも取り入れられています(とはいえ、やはり言語そのものを学ぶという機会は少ないように思われます)。しかし、その言語の実態がなぜそうした姿をとるのかということに対する説明、また、自身が言葉を用いる際に無自覚なレベルで影響を与えている書き方や考え方の様式の存在について考えようとすれば、「今現在のことば」をのみ考えるやり方は必ずしも充分とは言えません。

また、古典の側から考えれば、今と昔を比べてみるという方法は、たしかに今と昔の「違い」を導きますが、それはあくまでも「今」と「昔」であって、今に繋がる過去との関わりを考えることには至らない場合も多くあるのではないでしょうか。言語は史的変遷を経て「今」の姿となっています。「平成(現代)」「平安」「鎌倉」といったその時との時の共時的な姿を知ることは、もちろん歴史と向き合う重要な観点ではありますが、そうした時々の言語がどのような「流れ」を経て現代に至るのかという立場から、言葉の移り変わり=流れを知ることは、「今」と「昔」を結びつける思考・活動を可能にします。

この研究は現在、理論的な検討や学習内容としての日本語史的な事象の検討を行いつつ、具体的な教材化・授業化を考えようとしている段階にあります。その研究活動に関わる研究会を行うことで、現職の国語の先生にも参加してもらいながら、実践的研究を進めようというわけです。もちろん、学部・大学院の学生たちがこの場に参加してもらい、それぞれの教材感・教育観を深化させる場でもありたいと考えています。

今後、研究会は不定期かつ継続的に開催していく予定です。古典の教材化に限らず、国語教育と日本語学(日本文学)の様々な連携を話題にしていきます。今の授業をブラッシュアップしたい、やってみたい授業がある、これから教職を目指すための実践的な勉強をしてみたい…等々、興味関心をお持ちの方は、磯貝までご連絡ください。
 

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