2021年8月21日土曜日

あたらしい古典の授業を考える

 先日、県内の高校で古典の授業研究に参加してきました。コロナ禍の中(その後、間をおいた現時点では新潟県の感染拡大状況はさらに厳しいものがあります。一日も早い収束を祈るばかりです)、いろいろと気を遣いながらですが、高校生の皆さんと新しい古典の授業について考えた楽しいひとときでした。

 この試みは、私も参加している科研グループの研究課題「学びのプロセスと日本語書記史を統合する学習材・学習方法・カリキュラムの開発と検証」(基盤研究(B)19H01667  2019年4月 - 2022年3月)に関わるものです。研究協力者として授業を実践してくださったのは、私の研究室出身者、この高校で国語の先生として活躍している方です。授業づくり、研究の一環として教室に入ったわけですが、かつてのゼミ生が教壇に立つ姿を見て、なによりも私の記憶の中よりも数段アップデートした姿を見て、心から嬉しく思ったことでした(むしろ感動を覚えました)。

 そのように感じることができたのは、何より授業に参加してくれた高校生の皆さんが、じつに楽しそうに、また積極的に授業に参加し、話し合いを行う様子を目の当たりにしたからです。教材なったのは『宇治拾遺物語』『今昔物語集』の同文説話。表現の違いに気づく比べ読みにとどまらず、それぞれの場に息づく古代の人々のものの見方・考え方を発見し、さらには自分自身の中にある「そうしたもの」の存在に気づいて言語化すること、それを通して、自分自身の表現のあり方(自分の思考が、その背景にある「思考に影響を及ぼすもの」と分かちがたく結びついている)に気づかされること、目指しています(こう言ってしまうと簡単なようですが…実際の古典の授業にいくつも存在する「ハードル」を考えると、この目標自体がチャレンジングなものであることに気づくわけです)。

 さて、少し前にも「古典は必要かという」議論が盛り上がっていましたが、私たちが目指すのは古典が古典として別置される学びではなく、古典が〈我がこと〉として学ばれていくような理論の構築としくみの開発です。それは、「たとえること」とも「応用すること」とも少し(いやだいぶ)違っているように思います。まだまだ途上ではありますが、高校生たち、実践者の先生が授業を作る様子を見て、「まちがっていないんだ!」と確信を得た授業となりました。

 授業に参加してくださったみなさん(夏休みなのに!)、ありがとうございました。また会えることを楽しみにしています!

 


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